自在法師遼天作 観音像(神像)
紹介文
自在法師遼天は、現宮城県気仙沼の曹洞宗補陀寺の住職で、木食修行をして全国各地を作像行脚し、蝦夷地には宝暦11年(1761)と安永3年(1774)の2回渡来している。寛政9年(1797)には江戸へ移り、禅の布教につとめ、大名や旗本に多くの弟子を得たと伝えられている。遼天の作風は独創的で自由、かつ清新で大胆であり、道内では松前、江差、乙部、熊石などで10体近くの作例が知られる。
この2軀の像は、岩座に腰を下ろし、頭頂から白衣をまとい、法衣を着用する白衣観音形に一木で造られている。男神像は高さ38.5cm、台座部背面に墨書で「仙台領 気仙沼本庄自在奄遼天(花押)」を銘記し、女神像は高さ38.3cmの同背面には「禅沙門 自在法師拝作」の彫銘がある。