佐藤家資史料
紹介文
「佐藤家旧事記」によれば、佐藤家は武田信廣に従属し、道南十二館のうちの中野館の佐藤季則を家祖とする。寛文期(1660年代)の2代宗郷は町奉行を務めていたが、登城中に奉行所が失火により焼失し、その責任をとり自害した。また7代準治は、御用向きに麁略があり生害するが、その際介錯をした小林兵吾の使用した刀が、「長船清光」であった。嘉永元年(1848)に松前に来遊した水戸藩永井源兵衛二男直次郎は、10代佐藤直次郎季直と改め佐藤家を相続し、後に男破魔唯則と称した。このとき所持していた刀が「常陸国助共」である。その後、箱館戦争時に男破魔は四番隊長となり、息子の破魔児とともに出陣し、隊旗や隊長旗を残した。のちに、破魔児は松前子爵に仕えることになった。本資史料は、7代準治から10代男破魔に関連したものが主体であり、これらの書簡や遺品を通して、幕末・維新期の騒乱を知ることが出来る一括史料として重要である。