松前家 伝 銅雀台瓦硯
紹介文
瓦硯に附す、文禄3年(1594)に記された『麒麟硯記』によれば、「国医半井春蘭なるものが正徳年中(中国歴)(1506~1521)に明に行き名医に入門した。仲の良かった梅厓先生から日本に帰る時に銅雀の瓦硯が贈られた。」と記されている。正保3年(1646)に松前家5世慶廣の子景廣が記した『新羅之記録』には、この瓦硯の記載が無く、11世邦廣が箱書きを記したのが享保15年(1730)で、邦廣は箱書きに由来を記していない。
さらに、松前廣長が安永9年(1780)に著した『福山秘府』によれば、文明17年(1485)の条に「傳云、其歳、北夷出瓦硯。」とあり、この年に樺太から伝わったとされる。
また、別の巻物は、寛文9年(1669)が1通、享保3年(1718)が4通、享保4年(1719)が1通、そして、天保15年(1844)が1通の、合計7通の文書が組まれて1つに構成され、それぞれ識者が松前家にある銅雀瓦を賛美し、このころ松前家に伝わったことが判る。
瓦硯は陶質で硯下部の刻字に、洪武辛未(1391)9月9日と刻まれている。この資料は、松前藩の北方交易を知る上で重要である。