泉龍院寛保津波の碑
紹介文
津波による被害は、大島の対岸にある、松前町字江良地区の被害が最も大きく、『津軽藩日記』によれば「ゑら町」では、「三百七拾人程外旅人八拾人程」の死者が出たと記されている。この津波で生き残った人々が泉龍院に集まり、実宗が中心となって、この供養碑を建立し犠牲者の菩提を弔った。
碑は、花崗岩で高さ112cm(地蔵部分50.5cm)、幅30.5cm、奥行き28.5cm、台座は高さ22cm、幅43cm、奥行き47cm、正面に「為 寛保元年 辛酉 溺死諸霊菩提 七月十九日」の文字が、左側面には建立者が刻まれている。
また、江差町法華寺、江差町正覚院及び松前町光明寺の供養塔並びに熊石町の地蔵座像とともに大津波の惨状を今に伝える重要な歴史的資料である。