求福山山車の人形 その他付属品
紹介文
この求福山山車は、松前城下を代表する東西2つの山車のうち、西部代表とされ、代々町内の豪商伊達林右衛門が預かり、保存したと伝えられている。山車の正面には松前家17世崇広筆の”求福山”の額を懸げ、向かって左に尉、右に姥の正装人形を配す。この衣装は祭礼の時に藩主、奥方から下げわたしされたものである。側面には、水引幕として雌雄一対の「孔雀刺繍」のものが左右に張られ、背面の見返り幕は「鯉の滝登り刺繍」である。尉姥の人形と水引幕は宝暦初年(1751)、山車本体は文政初年(1818)といわれる。
山車は、昭和48年まで祭礼の際町内を練り歩いたが、破損が著しいため、松前町郷土資料館及び松前城資料館に保存・展示している。