徳山大神宮
紹介文
徳山大神宮の沿革は古く、中世の時代には伊勢堂と称し、唐津内浜(現字唐津)、ついで蔵町(現字福山)と移設された。承応元年(1652)、松前家9世高廣が現在地(字神明)に遷座し、神明社と改称した。神璽を伊勢の内宮・外宮から奉請して祀り、以後21年ごとの式年造営(遷宮)が行われていた。この神社は、松前一之宮といわれ、士民のもっとも崇敬したもので、藩主の参勤ならびに帰藩の際には、必ず当社に参詣したという。
本殿は、一間社神明造りで、一間四面の本殿に切妻造りの屋根を付し、正面は片流れの向拝があり、組高欄にすのこ敷きで、屋根は棟持柱が貫通し棟上には堅魚木7本を付し、さらに、柱頭には舟肘木をつけるなど、今日の神明造りの様式とは若干異なるが、中世の形式を伝えるものとして注目される。同社入り口には、天保3年(1832)建立銘の石造鳥居がある。この鳥居は、笠木と島木亀腹がある神明鳥居とみなされ、合わせて指定されている。
明治以降町内の多くの神社が合祀され、その数は45社に及んでいる。また、本殿には、元禄7年(1694)以降の遷宮棟札が36枚残っており、同社の歴史沿革を知るための貴重な史料である。