松前藩主松前家墓所
紹介文
松前藩主松前家墓所は、福山城の北、寺町の一角にある曹洞宗大洞山法幢寺の北にあり、その東側には旧箱館館主と親類関係にある河野系松前家墓所が隣接する。法幢寺は、延徳2年(1490)松前大館に建立されたが、アイヌの襲撃により焼失し、3世義廣によって天文15年(1546)菩提寺として再興され、元和5年(1619)頃までに現在地に移ったとされる。
松前家墓所が形成されたのは、松前家7世公廣の没した寛永18年(1641)以降と考えられている。 墓碑の総数は55基で、19代にわたる歴代藩主や正室・側室・子などの墓標が立ち並ぶ。始祖武田信廣から4世季廣までは一つの墓碑に合祀され、西に5世義廣(初代藩主)、東に蠣崎季繁(武田信廣の義父)の墓碑があるが、この2基は後世に造立されたものである。また、石廟(せきびょう)が23基みられ、寺町の寺院墓地でも、松前藩重臣を中心に石廟が採用されている。石廟は、日本海沿岸地域の墓地や、高野山などで類例があり、越前(福井県)産笏谷石(緑色凝灰岩)が使用されているが、後になると御影石(花崗岩)が使用される。