ここからメインメニュー

メインメニューここまで

サイト内共通メニューここまで

ここから本文です。

ホーム >  松前町について >  松前歴史物語 >  古代・中世の松前

古代・中世の松前

古代の松前

北海道に人々が住むようになったのは、今から2~3万年くらい前と考えられていますが、松前町からはこの時代の遺跡はまだ発見されていません。

松前町に人々が定着したのは、今から7~8000年前頃と言われています。北海道の中でも比較的温暖なこと、動植物・魚類が豊富であったと考えられることから、縄文時代以降擦文文化の時代(奈良・平安時代)までの多くの遺跡・貝塚が発見されています。
竪穴住居の写真
松前町郷土資料館内の竪穴住居(復元模型)

中世の松前

松前地方の名が歴史上最初に現れるのは、『続日本紀』の養老四年(720年)の記事に「渡島津軽津(わたりしまつがるつ)」の記述があります。渡島は蝦夷地を指し、津軽津は津軽地方への渡し口である松前付近の地です。(津軽津は、津軽地方であるという説と松前地方とする説とがあって、現在では松前地方であるとする説が有力です。)

松前の様子が歴史上初めて現れるのは、14世紀の『諏訪大明神画詞』のなかの「万堂宇満伊犬(まとうまいぬ)」という地名です。同書によると東北の大海の中央に蝦夷島があり、日の本(ひのもと)・唐子(からこ)・渡党(わたりとう)の三類が居住していたと言われています。

松前町内の地名は、アイヌ語を漢字で表したものが多く、「松前」という語源もアイヌ語にあると考えられています。「婦人の居るところ」つまり、アイヌの住む地に和人の女性も住むという珍しさを表したものだと思われます。

義経の渡航伝説

『福山旧事記(ふくやまくじき)』には、文治五年(1189年)源頼朝の奥州攻めに敗れた平泉藤原氏の残党の多くが、蝦夷地に逃れてきたと書かれています。

蝦夷地には義経・弁慶や藤原氏残党にまつわる多くの伝説が残されていますが、これらの人によって流布されたと考えられます。

さらに、鎌倉時代には蝦夷地を流刑地と定め、多くの罪人が流刑されたとあり、この頃から和人の定着者が増えていったものと考えられます。

安藤(東)氏と松前

津軽地方では、14世紀ころより安藤氏がこの地方を平定して、北条家(鎌倉幕府)の蝦夷管領としてその領地を広げていました。蝦夷管領の安藤氏は、蝦夷地の支配も任されており、和人居住地の管理と懲役を行うため、大館(字神明)を役所としていたと推定されます。

コシャマインの蜂起

『新羅之記録』によれば、康正二年(1456年)から翌年にかけて、道南地方に居住する和人と、先住のアイヌとの間に大きな戦争が起きました。

この戦いの発端は、箱館(函館)近くで、和人の鍛冶屋がアイヌの人を刺殺したことがきっかけとなっています。しかし、その背景を考えるとアイヌの人たちが居住する平和な島に、侵入定着した和人が増加し、経済的優位を誇って館を構え、武力を持ち横暴を強めることに対して、アイヌの反発が蜂起の原因であると推測されます。

この当時道南地方には12の館(たて)がありましたが、東部の大族長コシャマインを中心とするアイヌの人たちが団結し、これらの館を攻撃しました。各館は次々と落とされ、茂別館(上磯町茂辺地)と花沢館(上ノ国町勝山)のみが残り、和人たちは次々とこの二つの館に逃れました。

このとき、花沢館にいた武田信広(松前家の祖)がわずかな兵を率いて進撃し、上磯町七重浜付近でコシャマイン父子を倒しました。これによりアイヌは敗れ、松前氏の蝦夷地での発展の基礎が築かれました。

武田信広

『新羅之記録』によると武田信広は、若狭の守護職 武田信賢(のぶかた)の子とされていますが、『若狭武田系譜』に信広の名はなく、出自のよく分からない謎の人物とされています。

コシャマインとの戦いで武名を上げた信広は、花沢館主の蛎崎季繁の養女(茂別館主 下国家政の娘)と結婚し蛎崎姓を名乗りました。

信広は明応三年(1494年)六四歳で上ノ国に没し、夷王山(いおうざん)に葬られ、松前氏の始祖となりました。
武田信広の写真  

蛎崎氏の台頭

松前の大館は蝦夷地での安藤氏支配の中心館であったので、この館を支配することは和人地内の各館主を支配する立場になることになります。

永正九年(1512年)にアイヌの蜂起があり、大館の守将も自害し館も陥落しました。二世光広はその子義広とともに、小舟180隻に分乗して上ノ国から大館に移り、「徳山館」と改め安藤氏の代官となりました。

アイヌの大館侵攻は光広の策謀であったといわれています。

世 季広(すえひろ)

蛎崎氏にとって最大の悩みはアイヌへの対応でした。アイヌと偽って和睦したり、だまし討ちにしたり、アイヌの人たちの不信を増大させていました。

四世季広は東西にアイヌの代表を定め、商人から徴収した税を両族長に分け与えました。また、このほかにも対等の礼を尽くしたのでアイヌとの不信もとけ、しだいに道南和人地は平静になっていきました。

お問い合わせ

文化社会教育課(文化財)
〒049-1513
北海道松前郡松前町字神明30番地
電話:0139-42-3060
FAX:0139-42-2211

ページの先頭へ戻る